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福岡高等裁判所 昭和31年(う)1419号 判決

控訴人 検察官 野田英男

被告人 内田三代次 外一名

検察官 安田道直

主文

本件控訴はいずれも之を棄却する。

理由

検察官安田道直の控訴趣意は記録に編綴されている検察官野田英男提出の控訴趣意書記載のとおり、弁護人諌山博の控訴趣意は記録に編綴されている同弁護人及両被告本人提出の控訴趣意書記載のとおりであり、検察官の控訴に対する答弁は右弁護人提出の答弁書記載のとおりである。

弁護人の控訴趣意第一乃至第五点及両被告本人の控訴趣意について、

原判決挙示の証拠を綜合すれば判示各犯罪事実を推認するに難くない。記録を精査するもなんら経験則を無視したり採証の法則を誤つておると云う形跡はなく、証拠の取捨判断に対する攻撃は当らない。

原判決引用の証拠によれば佐賀税務署の表東側通用門は同税務署に用事のない者に対しみだりに構内に立入ることを許さないところであり判示の如く夜間セメント袋入人糞を投込む目的で該通用門から同税務署構内に立入りたる行為を目して住居侵入罪に擬したことは決して法の解釈適用を誤つたものではない。

又「金堀に告ぐ云々」なるビラの文言が金堀一男の身体生命等に危害を加えるかも知れないと云う脅迫的意味を寓するものであることは否定し難い。論旨はすべて理由がない。

検察官の控訴趣意第一点について、

爆発物取締罰則に所謂爆発物とは理化学上の爆発現象を惹起するように薬品その他の資材が結合されておる物体であつてその爆発作用自体により公共の安全を乱し又は人の身体財産を害するに足る破壊力を有するものを指称すると解する(最高裁判所大法廷、昭和三一、六、二七判決。)。従つて右罰則によつて取締りの対象となるべき爆発物の範囲は、爆発作用そのものにより社会の治安を紊し又は人体財産を傷害損壊し得る程度に高度の爆発性能を備えなければならぬことは勿論であるが、若し原判決文の「極めて高度」なる文言がそれ以上の高度を意味するものであるならば誤つた見解である。而してその破壊力は人の身体財産を害するに十分であればよいのであつて原判示の如く必ずしも「不特定多数人」の身体財産を害し得る程強力であることを要しない。又爆発力の程度につき原判決は身体財産に甚大な被害を加うるに足る破壊力を有しなければならぬとし「甚大なる」と云う表現を用いておるがかかる加重要件は必要でない。然し如何に微細な被害でも被害を与えることができるものならば悉く右罰則に所謂爆発物と認めて差支えないかと云うに然らず、苟くも爆発物を用いその爆発作用自体によつて身体財産を害した者を一般法たる刑法によらず爆発物に関し特別法たる爆発物取締罰則によつて処罰するものである以上爆発性能の程度は人体財産を害するものとして社会通念上危険を感ぜしめる程度のものたることを要するは勿論である。極めて零細な損傷しか与え得ないような微弱な破壊力を有するに過ぎないものはたとえ爆発物たる形態を備えていてもそれは右罰則所定の爆発物に該当しないものとして除外せらるべきである。蓋し、右罰則の制定に当つてその当時当局より発表せられた「爆発物取締罰則説明」によれば爆発物使用の目的とその使用する物件が爆発物であることにより社会公共に与える危害の甚大なるを慮り国家非常の大害を禁遏する必要上右罰則の制定を見るに至つたものであり、それ故に右罰則に対し一般法たる刑法の相似せる犯罪に対比して著しく重い刑罰を以てのぞみ、犯罪行為の種類や範囲も極めて拡げられておるのであるがそれは全く爆発物の有する爆発作用そのものに由る破壊力の怖るべく且危険性の大なるがために外ならない。よつて未だ社会公共の治安を乱すに足らず又極めて軽微な損傷しか与うることの出来ないような爆発物は右罰則所定の爆発物に該当しないのは当然である。

進んで問題のラムネ弾の構造、作用、性能等について研究するに、原審が証拠によつて確定したところによれば、本件の犯行に使用された所謂ラムネ弾は単にラムネ瓶にカーバイトを詰め之に水を混入した構造のもので、その使用方法は只、カーバイトを詰めた右ラムネ瓶に水を注入し之を倒して直ちに投擲するものであつて、その際カーバイトと水の反応によりアセチレンガスが急激且多量に発生し一方ラムネ瓶を倒すことによりラムネ玉が栓座に詰つて瓶の口を密閉するため瓶向のガスの圧力が上昇し遂にラムネ瓶の外壁を破るに至つてその瓶の破片が四囲に飛散するのであつて、右瓶の破裂はアセチレンガスが密栓された瓶内で急速多量に発生するため高圧を生じそれが瓶の耐圧限界を超えるに至つた時発生する物理的作用に基くものであり理化学上の所謂爆発現象を惹起する性能を有する爆発物たることは云う迄もない。而して原審鑑定人二神哲五郎の鑑定書、原審第九回公判調書中証人二神哲五郎の供述記載、最高裁判所昭和三十年(あ)第二、二一二号爆発物取締罰則違反被告事件の第一審第七回公判調書中証人二神哲五郎の供述記載を綜合すれば右ラムネ瓶破片の有する損傷能力は十糎の至近距離においても窓硝子を破損しさらし木綿や革皮を貫通するが木材や鉛板などには深さ二分の一粍程度の損傷を与えるに過ぎず人体に対しても十糎の至近距離において深さ二粍位の切傷又は皮膚が切れる程度の打撲傷を与えるに止まり衣服を着ておれば衣服が長さ一糎乃至三糎位の刃物で切つたように切り裂かれ然らざる場合も血の滲む程度の打撲傷を与えるに過ぎずその爆音も戸外では中心より半径五、六十米、屋内では三十米以内に居る人を驚かしめる程度であることが認められ又原審鑑定人堤亀一の鑑定書によればラムネ弾を爆発させた場合の最大飛散距離は二十五米前後であり、厚さ二粍のボール紙も四、五米離れておれば瓶の破片は之を貫通し得ず一米離れた所に置いた杉片には二粍乃至五粍位喰入るのみで到底貫通し得ないことが明らかである。尤もカーバイトと水の混和量や外部の気温気圧その他の諸条件のちがいにより結果に多少の相違を来すであろうけれども本件の場合においてもラムネ弾の一個が投下された地点から一米以内の近距離にあつた佐賀県国家地方警察隊長官舎座敷東側の硝子窓の硝子は一枚も破壊されていない程であつて本件のラムネ弾はその性能が弱く未だその投擲爆発により人心に不安脅威の念を生じよつて公共の安全を害するに至らず又爆発作用そのものにより人体財産に対し社会通念上危害を感ぜしむるに足る丈けの破壊力もないことが確認されるので爆発物取締罰則所定の爆発物には該当しないものと謂わざるを得ない。論旨は理由がない。

当庁において、ラムネ弾を右罰則に所謂爆発物に該当するとした判例(当庁刑一、昭和三〇、四、二五判決。同刑一、昭和三〇、四、二七判決。同刑三、昭和三〇、一一、二二判決)があり又ラムネ弾の球栓が栓座に接着せず瓶が密栓とならなかつたために爆発しなかつたのを爆発物に該当せずとした判例(当庁刑二、昭和三〇、六、二五判決)のあることを参考までに附記する。

同第二点について、

論旨は、被告人両名が氏名不詳者数名と共謀の上金堀一男及びその家族の身体を害する目的を以てラムネ弾を投擲爆発せしめたと云う爆発物取締罰則第一条違反の公訴事実に示された訴因は数人共同して脅迫したと云う暴力行為等処罰に関する法律第一条違反の訴因をも含んでおり、両者は法条競合の関係にあつて後者は前者に吸収せられておるので前者の罪が成立しないならば残る後者の訴因について判断を示さねばならないのに原判決はこの点につきなんら言及するところなく直ちに無罪を言渡したのは審判の請求を受けた事件について判決しなかつた違法があると云うのである。

けれども前者の訴因の裡には当然に後者の訴因をも包含しておると主張するのは独自の見解に過ぎず、公訴事実は訴因を明示してこれを記載することを要するにかかわらず暴力行為等処罰に関する法律第一条違反の訴因につき事実の明記なきは勿論罰条の記載もなき本件において裁判所は前者の訴因を否定した場合更に進んで後者の訴因の成否についてその判断を示さねばならぬ義務を負うべき謂れはない。論旨は理由がない。

弁護人の控訴趣意第六点及検察官の控訴趣意第三点について、

双方共量刑の不当を主張するものであるが本件犯罪の動機態様その他諸般の情状に照し原審の科刑は相当であつて敢て重きに過ぐることなくさりとて甚だしく軽過ぎるうらみもない。従つて論旨はいづれも採用しない。

よつて刑事訴訟法第三百九十六条に則り主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 柳田躬則 裁判官 青木亮忠 裁判官 尾崎力男)

弁護人諌山博の控訴趣意

第一点、原判決が、「罪となるべき事実第一」において、被告人両名が判示第一の一、及び判示第一の二の犯人であると認定したのは事実誤認である。

(イ) 原判決は、右認定の根拠を、各証拠を掲げて詳細に述べているけれども、弁護人としては、右各証拠の証拠判断及びその事実認定にどうしても承服することができない。まず、被告人両名が右両事件を実行したという現場を見た者は、誰もいない。原審で取調べられた証拠は、被告人等を事件に結びつけるためには、間接的にしか役立たないものばかりであり、これらの間接証拠も、論理の糸をたぐつて行くと合理的に直接事実を認定できるというものではない。

(ロ) 検察官は、この事件はあらかじめ共謀されたものであると主張している。検察官のこの主張が、すでに誤りである。昭和二十七年八月二十九日の第一回公判で、裁判長の「共同謀議がなされた日時場所について釈明を求める」という発言に対して、検察官は「事件の発生する十数日前、昭和二十七年四月二十六日以降数回にわたつて佐賀県下で謀議がなされており、少くとも最後は事件当夜か前夜佐賀市内高木町循誘小学校校庭において事件の謀議が行われている」と釈明しているが、四月二十六日以降数回にわたる謀議という点については検察官は「論告の要旨」でふれていないし、公判廷で立証しようともしなかつたので、最終の段階では、検察官は、五月八日夕方の佐賀市循誘小学校校庭における共同謀議のみを問題にしているものとみてよいであろう。循誘小学校における謀議とは、何であろうか。五月八日の夕方、循誘小学校に数名の人が集つて、何か話し合つていたのは事実のようである。検察官は、循誘小学校における謀議の証人として、吉田賢治、小川秀作、友添義文をあげている。友添義次は、校庭に集つている人達を最初に発見した証人であり、公判廷で当時のもようを詳しく証言しているが、宣誓の趣旨さえ理解できない十三才の中学生であり、その証言内容は、吉田、小川証言などと喰いちがつていて細い点の立証にはあまり役に立たない。吉田賢治は循誘小学校の校長である。五月八日の夜は、PTAの常任委員会があることになつていたので、吉田校長は午後八時頃登校した。学校に来てみると、小川小使に、校庭に青年がきていて便所の金具をとろうとしていると知らされ、小使と一諸に見に出ている。吉田校長は青年達から三、四尺ぐらいしか離れていない所まで行きそこで、青年達と二、三の問答を交している。校長が、あなた方は何をしているのですかと聞くと、青年の中に、われわれが話しているのがどこが悪いかという返事をした者があつたが、ここは学校の敷地だから外に出てくださいと校長がいうと、青年達は素直に立ち去りはじめたということである。立ち去るときのもようを吉田校長は、「するとその人達は、そこから運動場の東の端を真直南に下り、牛島天満宮に通ずる学校の非常門のところまで来て、そこでその中の二人は他の人と別れて非常門を出て行き、他の人達はそこから更に学校の正門の方に歩いて行きました」と述べている。以上が校長の見聞のあらましである。たた、一つだけ指摘しておかなければならないのは、小川証人は、青年達のことを子供(友添義文)から聞いたと証言し、吉田証人も小川小使がきて、「便所の手洗器の金員を取ろうとしていると学校に遊んでいた中学生がいつてきたと報告した」と証言しているのに対して、「論告の要旨」のなかで検察官が証言内容の信用度を賞讃している友添義文少年は、青年のことを知らせたのは、校長先生に対してであり、「小使さんには誰も話していません」と証言していることである。これは、「小使にも知らせたか」という弁護人の独立した問に対する答弁であるから言い誤りという種類の証言とは考えられないが、この喰いちがつた各証言のうち、吉田校長や小川小使の証言内容よりも、友添少年の証言の方が信用度が高いとは、通常考えられない。原判決も、友添証言は証拠として採用することを差しひかえている。検察官が主張する小学校校庭の謀議とは、これだけのことである。校庭に誰が集り、何が話されたかは、証拠の上では少しも明らかになつていない。青年達に誰よりも近接し、一番身近かに話したと思われる吉田校長さえ、「五、六人の人が円を作つてしやがんでいましたが、そのときの時刻は午後八時過ぎ頃で、私はその人たちに三、四尺位の処まで進みましたが、その人たちはシヤツを着ているのとタバコの火がみえる位の明さでその外の判然した服装や顔等は分りませんでした」といつているに過ぎない。小川小使も、校庭にいた青年がどういう人たちであつたかを、とくにその中に被告人両名がいたかどうかについては、まつたく認識がないようである。だが、それにもかがわらず、検察官は被告人両名が小学校校庭の青年のなかに含まれていたと主張している。その根拠は、友添少年が、「その直後、高木町四辻の電柱附近竝に上芦町の電柱附近に夫々立つていた被告人両名の姿を目撃した」といつて、校庭にいた数名の青年のなかに、被告人両名もまじつていたもののように述べているからである。だが、友添証言も、被告人両名がそれぞれ電柱附近に立つていたと断言しているわけではない。かりに被告人両名が校庭を出た後、同じ場所附近に立つていたとしたら、小学校における共謀者達は二隊に分れて行動し、被告人内田は、「隊長官舎班に加わつた公算が大きい」とされ(第一回公判における検察官の釈明)、被告人甲斐は佐賀税務署襲撃組に参加したとする検察官の立場と喰いちがうことになる。またかりに、友添少年が校庭の出来事の直後に電柱附近で被告人両名を見かけたといつても、そのことが、どうして、小学校校庭で謀議した者のなかに被告人等が加わつていたという証拠になり得るのだろうか。しかしながら、友添証言による事実認定の危険性は、宣誓の趣旨を理解することができたいとされている友添証人が、公判廷で証言する前に、警察官の訪問をうけたり、被告人の写真を見せられたり、刑務所に連れて行かれたり、先生と話し合つたりというように、年少者の証人に対して最も戒しめなければならない固定観念もしくは先入観を植えつけられる機会を、余りにも多く与えられすぎていることである。フランシス・ウエルマンは、「反対尋問の技術」のなかで、証人の証言がいかに誤りを含みやすいものであるかを、数々の実例を引いて論証しているがそのなかで、サー・ジヨン・ロミリーの、「ある出来事が発生したにちがいないと信じて、長時間に亘りその事実に考えを集中し、はたしてああであつたかこうであつたかを想起しようと務めているうちに人々は、終にはその出来事を記憶していると思い込むようになる。もともと想像の所産が、いつの間にか、記憶の所産となるのである。こうした型の証人を、故意に偽証を敢えてするとして、これをせめるのは、当らぬことで、彼等は、単にその想像の申し子であつて、実際には決して存在しなかつた会話とか観察を、聞いたとか記憶しておるとか善意に信じているにすぎないのである(右同書一四四頁)という一文を引用して、固定観念による証言の危険性を強調している。友添証言のごときはロミリーの警告がそのままあてはまるケースである。こういう事情であつたから原判決も、友添義文証言は、証拠として採用することを拒否しているのである。これを要するに、循誘小学校で何らかの話し合いが行われたと仮定してもその中に被告人両名が参加していたとする証拠は存在しないというほかはないのである。つぎに小学校校庭では、何が行われていたのであろうか。検察官はここで国警隊長官舎事件、チリ箱貼り紙事件、税務署人糞事件の最終的な共同謀議がなされたと主張している。しかし、小学校校庭の話し合いの内容が何であつたかを証言している者は、誰もいない。したがつて、何が話し合われたかを、直接知る方法はない。校庭における話し合いが五月八日午後八時頃行われたからといつて、その直後の刑事事件を直ちに校庭の話し合いに結びつけるのは、あまりに性急な論理の飛躍である。検察官は、校庭における話し合いをその後の刑事事件に関係あるものであるかのように立証しようとしている。しかしその立証はどれひとつとして成功していない。検察官は、「論告の要旨」のなたで、校庭に集つた人たちの中には、紙製のセメント袋のようなものを所持していたものがあつた」と主張している。しかし、校庭でセメント袋を見たという証人は、誰もいない。友添少年は、高木町の角にいた人達は、「白い袋をもつていました」といい、その大きさは、「紙袋と同じ位で」あり、「それには何が入つていたか」という問に対して、「折りまげて脇にかかえていましたから何も入つていませんでした」と答えている。吉田校長は、校庭から出る人達を非常門のところまで送り出しており、その人達にうすうす盗人の嫌疑をかけていたようであるから、校庭から何かもつて出る人があつたら、校長がすぐ気づいているはずであるが、校長は品物を持つていた人のことには一言もふれていない。小川小使も同様である。そうすると、校庭にいた人が紙製のセメント袋様なものを所持していたという検察官の主張は、根拠がなくなつてしまう。また、当夜学校で人糞がくみとられた形跡があるというが、校長が青年達を送り出すときに人糞が持ち出されていないとしたら、いつ持ち出されたということになるのだろうか。税務署に投げこまれた人糞は、セメント袋入りの大量のものであるが、そういう人糞が持ち出されたとしたら、隠匿して発見されないように持ち出すことはできないだろうし、かりにうまく隠匿しても、臭くてすぐ発見されたはずではないか。友添証人が電柱の下で被告人等を見、被告人等はそのとき紙袋をもつていたと証言している時間は、税務署の事件が起る直前であるが、友添証人が見た紙袋は、「折りまげて」脇にかかえていたもので、中には何も入つていませんでしたというのであるから被告人等が携行していた紙袋を投げこんだという検察官の立場が正しいとすれば、被告人等は空の紙袋に、いつの間に大量の人糞をつめこんだことになるのであろうか。およそ考えられない想定である。さらにおかしいのは、校庭にいた人が校長と話し合い、校庭に出るまでの態度が、新聞をあつといわせるような大事件を謀議している者の態度とは思えないことである。犯罪の謀議中に発見されてとがめられたのであれば、謀議者は一散に逃げて行くのが普通であろう。検察官の主張するごとく、これが共産党の計画的、組織的な破壊活動であつたとしたら、なおさらのことである。共同謀議者は、逃げて行かないまでも、速やかに立去るとか、顔を見られないように気をくばるというぐらいは、しそうなものである。しかるに校庭の青年達は、校長からとがめられても少しもあわてず落ちついて校長と話し合つている。青年のある者は別れるときに、校長に対して「どうもすみませんでした」と挨拶までしている(吉田賢治証言)。これは、数十分後に事を起そうとしている共同謀議者の態度ではない。人糞投入直前に電柱の下で紙袋を持ちながら犯人が立つていたという検事の想定もナンセンスである。真の犯人であれば、人通りの多い街路の、目につきやすい電柱の下には立たないだろうし十三才の少年にさえ見破られるような人糞の持ち方はしないはずである。校庭からカーバイトが発見されたとか、校庭で「紙屑か何か、ポーツと火をたいたようで、その火はすぐ消えました」(小川証言)というようなことも、真偽のほどは別として、小学校校庭で事件の謀議がなされたとか、さらにその謀議に被告人両名が参加していたという事実を証明するのに役立つものではない。検察官のいわゆる共同謀議とは、以上のようなものである。誰がどういう方法で、どういう内容の謀議をしたかを、直接に認定できる証拠は、ひとつもない。検察官は、いくつかの不確かな事実(間接証拠)を無理につなぎ合わせ、論理の飛躍を重ねて、被告人両名が他の数名とともに、事件当夜小学校校庭で共同謀議をこらしたと主張しているにすぎない。故不破武夫教授は、間接証拠のみによる事実認定の危険性を警告して、「直接に犯罪事実が証言の内容たる場合(直接証拠)と、その蓋然性を認むべき間接事実が証言の内容たる場合(間接証拠)とを、比較するに、一般に、後者は前者にくらべてはるかに誤謬の介入する余地多きことを注意しなければならぬ。蓋し、犯罪現象は社会生活に於ける異常特別の出来事たるを通常とする。従つて、親しく之を実験した者は、何程かの鮮明なる印象をうけて、比較的長期間に亘つて之を記憶するのが一般であろう。反之犯罪事実を認むるための徴憑は、例えば、一定の日時、場所に於てタクシーが二人連れの客を乗せたかどうか、其日夜隣家で異常な物音を、聞いたかどうか、というが如き日常瑣末なる事柄である場合が多い。そこでこの種の事柄は、一般的に謂つて印象が稀薄で記憶に保持せられにくいことはいうまでもない。従つて、其の記憶は時の経過と共に速やかに色あせて、同時に内容の歪曲を伴うこと甚だ多く、此処に幾多の危険なる誤謬の原因を孕むこととなるのである」(牧野教授還暦記念刑事論集五四六頁)と書いたことがあつたが、故不破教授の警告は、そのまま本件にあてはまるものである。とくに、警察隊長官舎のラムネ弾事件や、チリ箱のビラ貼り事件までも校庭で謀議されたとする検察官の主張にいたつては、採証の法則のごときには一顧だに与えていない態度というべきであろう。原判決は、事実認定の証拠として「四、第二回公判調書中証人吉田健治、同小川秀作の各供述記載、第六回公判調書中証人山口ヨシの供述記載、当裁判所が昭和二十七年十二月十七日なした佐賀市高木町循誘小学校附近の検証調書(図面二枚添付)、司法警察員の右循誘小学校における遺留品発見報告書、同循誘小学校の現場見取図並に写真六葉、鑑定人二神哲五郎の鑑定書、ラムネ瓶破片三個(押検第八号)、マツチの軸五本、紙屑片一枚、煙草吸殻六個(押検第十六号)、カーバイト粉二包(押検第十七号)の各存在」を掲げているが、これらの証拠によつて認定できるのは右のようなことだけであり被告人等が判示第一の一、及び判示第一の二事件を共謀したという事実を導き出すことは、とうてい出来ないのである。

(ハ) 甲斐被告人は、判示第一の一事件の実行行為をしていない。甲斐被告人を判示第一の一事件に結びつけたと思われる唯一の証拠は「三、(イ)併合前の昭和二十七年(わ)第一五一号被告人甲斐宝市に対する暴力行為等処罰に関する法律違反、住居侵入傷害被告事件の第二回公判調書中証人青柳悌一の供述記載」である。この証拠で認定できることは、原判決が要約しているように、判示第一の一事件が起つて間もなく、甲斐が税務署からあまり遠くないところで逮捕されたということである。しかしだからといつて、甲斐を判示第一の一事件の実行と結びつけるに足る証拠は、どこにも存在していない。検察官が甲斐を犯人と主張する理由の一は、甲斐が循誘小学校における謀議者の一人だつたということであるが、この主張が間違つていることは、本控訴趣意に(ロ)詳述したとおりである。検察官の第二の論拠は、警察官青柳悌一の「東側通用門から三、四人の人が税務署の構内に入つて行くのを認めました。しかし私はそれには気も止めず東側の通用門前に来ましたところガラスが割れるような変な音がしました。そしてその中の方から泥棒泥棒と叫ぶ声がしました。そして一人が正門の方え出て来ましたので、この人が泥棒だと思い、勧業銀行前十字路で被告人を逮捕しました」という証言である。青柳証人は検察官の主尋問に対しては、三、四人の人が税務署の構内に入つて行くのを見たと証言しながら、弁護人の反対尋問に対しては、「税務署の横の通路を通りました」というだけで、「では入つていないか」と聞かれると、「普通の人も通常は通るので、入つたかどうかは分りません」と答えている。青柳の証言は、そういう不確かな部分を含んだものである。しかし青柳自身でさえも税務署の中に三、四人入つて行つた者と青柳が捕えた人が同一人であるかどうかについては、確認できませんでしたといつている。人糞の入つていた袋は、大きなセメント袋であつたから、この人達が人糞袋をもつて税務署に入つていつたら、すぐ分つているはずであるが、青柳は税務署の中に入つて行つたという人が、手に何か持つていたかどうかも「現認できませんでした」と証言している。佐賀税務署の裏には酒販組合の事務所があり、税務署の構内は、酒販組合の人や酒販組合に用件のある人は、自由に通行するならわしになつていた。江口スマ証言によると、「県庁通りから組合の門の外には、用のない者は通りぬけを禁ずるということが書いてありますが、税務署の東側が近道である関係から、組合の人や税務署の人あたりがよく通りぬけていました」ということである。もつとも、夜間九時頃になると、組合の方で通りぬけられないように門に閉じ、鍵をかけることになつているが、事件当時は、江口スマの子供が外出していたので、まだ鍵をかけずにいたのである(江口スマ証言)。したがつて、税務署の正門から出て来た人が、東側通用門から入つた人と同一人物であると断定することは無理だし、ガラスの割れる音の直後に正門を出た人があつたとしても、税務署の構内が通路の役を果している場所である以上、その人がガラスを割つた本人であると認定することもできない。被告人甲斐が、税務署の中でガチヤンと音がして間もなく税務署の正門を出てきたというだけで(もつとも甲斐はこのことを否定している)、甲斐に税務署事件の実行責任を帰せしめるのは無茶である。川内野正次証人の目撃によれば、これらと同一と思われる人達は、中ノ小路の方に走つて出たということになつているが、甲斐がそれら数名と実行行為を共にしているのであれば、甲斐一人だけがなぜに、すぐ発見されるような別行動をとつたのであろうか。また、甲斐の当時の言動は、現行犯と見なされても止むを得ない事情があつたとも考えられない。要するに、甲斐は事件当時税務署附近を通りかかり、そばづえを喰つて逮捕されたまでであつて、同人が判示第一の一事件の実行行為者と認定する証拠は何もないのである。

(ニ) 内田被告人を判示第一の一事件の実行犯人と認定するに足る証拠も、皆無である。もつとも内田被告人については、検察官自身がなした原審の第一回公判における釈明では、「内田被告人は隊長官舎班に加わつた公算が大きいのであるが、とにかく、内田被告人はどちらかの班に加わつている」となつている。最終公判における「論告の要旨」のなかでは、検察官は内田の実行行為については、一言もふれていない。原判決が、内田被告人に関する判示第一の一事件について、共謀の責任のみを認定したのか、それとも実行行為の責任をも認定しているのかは、明らかにされていない。原判決は内田被告人に関する証拠として、第五回公判調書中証人青柳常美の供述記載をあげているが、この供述は、内田被告人の実行行為について、何らの手がかりも提供していない。青柳常美証人は、事件直後と思われる五月八日午後九時五分前頃勧銀から十五米ぐらい南の方に来たとき、「勧銀と道路を距てた西側の角にある果物屋で、内田が何か買物をしておりました」といつている。それからの内田の行動について、青柳証人は、「内田は買物を済ましてから、自転車のそばに立つてちよつとの間東の方を見ておりましたが、それから自転車をひつぱつて中ノ小路を東の方に歩いて行きました。それで私もその方向に帰りますので、ちようど内田の四、五米ぐらいあとから歩いておりましたところ、税務署の前にある吉原耳鼻科の門の前に人が四、五人集つて何か話しておりました。すると内田はその人達のそばに行き、何がありましたかといつているのが聞えました。それで私もその人達の処で立ちどまりました。その中の一人が、税務署に泥棒が入つたといつておりました。そのときは、税務署の東側通用門の附近にも四、五人の人が集つて話しておりました。私はそちらの方には行かず、吉原耳鼻科の前で三、四分位集つていた人達の話を聞いてからそのまま帰りましたが、そのときもやつぱり税務署の通用門附近で何かたずねてから東の方に歩いて行く内田の四、五米位後を歩いて行きました」と述べ、こう証言した後で「事件と私が内田を見かけた時間の関係から、内田は何か事件と関係があるのではないかと考えました」といつている。しかし、青柳常美証言は、終始警察官らしい作為に満ちたものである。例えば、「証人はこの事件が偶発的なものと思つたか、それとも計画的あるいは組織的なものと思つたか」という検察官の問いに対して、事件が起つたことを翌朝の新聞ではじめて知つたという青柳証人が、臆面もなく、「何か組織的な計略にもとずく事件ではないかと思いました」と答弁し、国警隊長官舎事件については、「単なるいたずらではなく、共産党の仕業ではないかと考えました」と証言している。このような証言は、事件に対する予断と偏見をもつている証人でないとできない証言である。だがしかし、当夜の内田の行動に関する青柳証言が一分の違いもない真実を述べたものだとすれば、青柳証言こそ、内田の無罪を証明する有力な資料を提供してくれたものということができよう。青柳が内田に出合つたというのは、事件が起きた直後のことである。事件の騒ぎがまだ治まらない時期に、謀議の責任者であり、多分国警隊長襲撃の実行者にちがいないと検事が主張している内田が、国警隊長官舎にラムネ弾をなげつけ、チリ箱に貼り紙をして、それからすぐ税務署附近の果物屋で、悠然と買い物をするということが考えられるだろうか。内田がラムネ弾を投げたのであれば、内田は投げると同時に人の眼につかないところに身をくらましているはずである。また、内田が小学校校庭の話し合いに参加していたのであれば、内田はなぜそのとき自転車などをもつていたのであろうか(小学校に集つていた人の中には、自転車をもつた人はいなかつた。)。こんな訳のわからない証拠によつて、内田の実行行為を立証し得たというのであれば、非常識きわまるものといわなければならない。判示第一の一事件について、検察官は内田被告人に実行行為の責任を追求しているのかどうか明らかでないが原判決が実行行為を認定したのであるとすれば、それは明白な誤認であるというほかはない。

(ホ) 判示第一の二事件についても、内田被告人や甲斐被告人が、その実行行為について、何らかの関係があつたと認定できるに足る証拠はない。甲斐被告人については、検察官自身が、判示第一の一事件の実行行為に参加したと主張しているだけで、判示第一の二事件の実行行為に関係したとは主張していない。内田被告人については、「隊長官舎班に加わつた公算が大きい」(第一回公判における釈明)というあいまいな主張があるだけで、それを認定するに足る証拠は、何もない。もつとも検察官は、ビラの筆跡が内田被告人のものであると主張しているが、それが誤りであることは、筆跡鑑定の問題にふれるとき詳述する。

(ヘ) 被告人両名が判示第一の一及び判示第一の二事件の実行行為に参加していないことは、本控訴趣意(ハ)、(ニ)、(ホ)で詳述したとおりであり、被告人両名が右両事件を共謀していなかつたことは、本控訴趣意(ロ)に詳述したとおりである。しかるに原判決が、右両事件について被告人両名の刑事責任を肯定したことは、証拠にもとずかないか、または証拠を曲解した驚くべき事実誤認である。例えば検察官は、甲斐被告人は判示第一の二事件の実行行為には関与していないとみているようであるが、それではその事件について、甲斐被告人が共謀していたという証拠がどこにあつたのであろうか。そんな証拠はどこにもないはずである。検察官は、判示第一の一及び判示第一の二事件の共謀は循誘小学校校庭で行われていたと主張しているが、校庭に集つていた人たちのなかに被告人両名が参加していたという証拠がどこにあつたのであろうか。また循誘小学校に集つていた人達が、判示第一の一事件や判示第一の二事件の実行を共謀していたと認定するに足る証拠が、どこにあつたのであろうか。そんなものは、記録のどこを調べても、ありはしないはずである。この事件のいちぢるしい特徴は、被告人等の実行行為に関する証拠がほとんど存在せず、また共謀の証拠は皆無だということである。しかるに原判決は、被告人等の刑事責任を大胆に認定して、それが実行行為の責任であるのか、それとも共謀行為の責任であるのかを明らかにしないまま、被告人両名について有罪を認定してしまつた。これは証拠にもとずかない、また証拠を故意にねじ曲げたことから起つた事実誤認であり、この証拠判断の誤りないし事実誤認が原判決に影響を及ぼしていることは明らかであるから、原判決は破棄さるべきである。

第二点、原判決が、判示第二の一及び判示第二の二事件について、内田被告人に有罪判決を言渡したのは、事実誤認である。この事件で問題になるのは、内田被告人の筆跡鑑定だけである。原審においては、四人の鑑定人から鑑定書が出されているが、そのうち、高村鑑定人は、ハガキに書かれた文字は内田被告人の筆跡ではないという結論を出し、他の三名は逆の結論を出した。四名の鑑定人のなかで、常識的に一番の権威者とみられているのは、高村鑑定人であり、採用された鑑定方法が一番科学的であつたとみられるのも、高村鑑定人の鑑定方法である。ところが原判決は、比較的権威の薄い他の三名の鑑定結果を採用し、一番権威の高いと思われる高村鑑定を証拠として採用せずに、右ハガキの文字は内田被告人の筆跡によるものと認定し、その認定の上に立つて、内田被告人の刑事責任を認定してしまつた。原裁判所で取調べた証拠、また原判決が掲げた証拠のなかには、筆跡鑑定以外に被告人の刑事責任を認定するに足るものはないのであるから、右のような誤つた筆跡鑑定によつて認定された判示第二の一事件及び判示第二の二事件は、明らかに事実誤認であり、原判決は破棄さるべきである(なお、この点の詳細については、本控訴趣意第三点を参照)。

第三点、原判決が判示第一の一、二及び判示第二の一、二事件において、筆跡鑑定を唯一の証拠として内田被告人に有罪判決を言渡したのは、採証の法則を誤つたものである。

現在わが国で行われている筆跡鑑定では、合理的な疑いの余地を残さない程度に筆跡の同一性を認定することは、不可能とされている。したがつて、刑事裁判における筆跡鑑定は、筆跡の同一性が疑わしい場合に、それを決定する有力な補助手段にはなり得ても、それのみで独立して筆跡の同一性を識別する資料にはなり得ないものである。本件において、原判決が被告人を判示第一の一、二第二の一及び判示第二の二事件の刑事責任に結びつけた唯一の証拠は、三名の鑑定人の筆跡鑑定になつているが、筆跡鑑定のみで被告人の刑事責任を肯定することは、未だ科学的に合理的な疑問の余地を残さないまでの正確度に達していない筆跡鑑定によつて犯罪事実を認定することになり、採証の法則に違反するものである。また本件においては、四つの鑑定結果が出されているが、そのうち、専門的知識の一番豊かな権威者は高村鑑定人であり、また採用された鑑定方法のうち、一番科学的な確実性の高いものは高村鑑定人の行つた鑑定方法である。しかるに原判決は、一番信頼できる鑑定人の、一番信頼できる鑑定方法による鑑定結果を証拠に採用せず、信頼度の低い鑑定人の比較的非科学的鑑定方法による鑑定結果を採用して、事実を認定している。鑑定というような科学的知識の要求される問題については、三つの鑑定の方が一つの鑑定よりも信頼できるというような経験則は存在しない。われわれの経験則というのは、そういう多数決的考え方ではなくて、信頼できる鑑定方法にもとずく鑑定結果こそ、信頼に値いするものであるということである。したがつて、原判決のこの点に関する証拠判断の仕方もまた、経験則を無視し、採証の法則を誤つたものである。筆跡鑑定のみによつて犯罪事実を認定したということ及び高村鑑定を採用しなかつたということは、いずれも科学及び経験則を無視し、採証の法則を誤つたものであるが、この誤りは原判決に影響を及ぼしているので原判決は破棄さるべきである。

第四点、原判決が、判示第一の二事件が脅迫罪を構成するとしたのは刑法第二二二条第一項の釈解適用を誤つたもので、また大審院判例に違反しているので、原判決は破棄さるべきである。ここで問題になつている貼り紙のビラは、「金堀に告ぐ三月貴様は勤労者農民を仮装敵として演習を行つたが勝つ自身があるか独立を欲する国民の敵となり身を滅すより民族と己のために即時現職を退陣せよ」という文面のものであるが、この文面は、綜合的にみても分析してみても、刑法第二二二条第一項の要素をなす「生命、身体、自由、名誉又は財産」に対する加害の意味を含んではいない。脅迫罪が成立するためには、「他人が畏怖心を生ずべきことを認識し、其の者若しくは親族に対して一定の危害を加うべきことを通告するに因りて成立する」とされている(大審大正三年(れ)一二二四号同年六月二日刑一判)。ところが本件ビラの文面は、右判例がいうような「一定の危害を加うべきことの通告」の趣旨ではないのである。したがつて、このビラを貼ることは、もともと刑法第二二二条第一項違反にならないものであるが、これに反する判断をした原判決は、刑法第二二二条第一項の解釈適用を誤りかつ右大審院判例の趣旨に違反しているものであるから、原判決は破棄さるべきである。

第五点、原判決が、判示第一の一事件における佐賀税務署表東通用門から構内に立入る行為を、住居侵入罪に該当するとしたのは、刑法第一三〇条の解釈適用を誤つたものである。佐賀税務署の裏には、酒販組合の事務所があるが、酒販組合に用のある人は、税務署の構内を通過して道路に出ており、問題の部分を自由に通行していた(江口スマ証言)。したがつて被告人等が侵入したとされている場所は、不特定多数人が通行を許されている道路とみなさるべきところであり、刑法第一三〇条で保護される対象となるべきところではない。ここに立入ることは、刑法第一三〇条の住居侵入罪を構成しないものであるのに、これに反する結論を出した原判決は、法律の解釈適用を誤つたものであり、この誤りは原判決に影響を及ぼしているので、原判決は破棄さるべきである。

第六点、原判決の刑の量定は不当である。原判決の事実認定及び法律適用がすべて正しかつたと仮定しても、被告人等に対して懲役実刑を課した原判決の刑の量定はいささか過重と思われるので、原判決は、量刑不当の理由で破棄さるべきである。

検察官野田英男の控訴趣意

第一点原判決は、法令の解釈適用に誤があつて、その誤が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れない。

一、原判決は、被告人両名に対する爆発物取締罰則違反の公訴事実に対し無罪の言渡をしたのであるが、右公訴事実は「被告人両名は佐賀市循誘小学校校庭において氏名不詳者数名と共謀の上、昭和二十七年五月八日午後九時頃治安を妨げ且つ佐賀市松原町中の小路九十番地国家地方警察佐賀県本部警察隊長金堀一男及びその家族の身体を害する目的をもつて屋外より板壁越に右隊長官舎東側座敷を目掛けて所携のラムネ瓶にカーバイトと水を混入せる爆発物二個を投擲爆発せしめて爆発物の使用をなし」たというのであるところ、原判決は本件犯行に使用したいわゆるラムネ弾は前記罰則の爆発物に該当しないとして無罪を言渡したのである。しかしながら、原判決の爆発物に関する右解釈は誤りであり、その結果有罪行為に対し不当に法令を適用しない違法が存する。

二 原判決は本罰則にいわゆる爆発物とは、具体的には火薬乃至爆薬又はこれに準ずる破壊力を有するもの、抽象的には、その爆発性能が極めて高度で爆発作用自体により公共の治安を撹乱し、又は不特定多数人の身体財産に対し甚大なる被害を与えるに足る破壊力を有するものと解するのが相当であるとしている。

即ち原判決は「爆発性能が極めて高度」「不特定多数人に対し」「甚大なる被害」等の要件を具うるものに限定し、之らの要件を具えないものは理化学上の爆発物であつても罰則にいう爆発物には該当しないという独自の見解を採つている。この見解に基いて、本件犯行に使用されたいわゆるラムネ弾の構造作用破壊力を検討した末、その破壊力は到底火薬乃至爆薬又はこれに準ずるもののそれに比すべくもなく、又公共の治安を撹乱し、若しくは不特定多数人の身体財産に甚大なる被害を与え得る程の高度の爆発性能及び危険性も認められないとして罰則にいわゆる爆発物に該当しないと断定したのである。

三、しかしながら刑罰法規の解釈は、罪刑法定主義の要請からして規定の文言に表明されている法意に、従うべきであり相当の根拠なくして法定の犯罪構成要件に不当な制限を加えて解釈することは許されない。原判決が「爆発性能が極めて高度」、「不特定多数人に対し」、「甚大なる被害」等の要件を必要とする解釈を採る理由として挙示するところは、罰則制定の趣旨、法定刑の峻厳性並びに他の刑罰法規との比較対照等であるが、之らの事項は、到底制限解釈を採るについて相当の根拠とはなし得ないものである。即ち、原判決は、本罰則制定当時の参事院上申書「爆発物取締罰則説明」に「本則に爆発物と称するは火薬取締規則に載する所の火薬、劇発火薬より成立するものにして激動、摩擦、若くは導火の作用に由て直に爆発するものなり。夫れ爆発物の使用如何に由て其国家に大害を与うるは欧米各国の方に憂慮して之を撲滅するに怠らざる所なり。凡そ非常の大害あるものを禁遏せんと欲するには亦必ず特別の法律を以て処置せざるべからず。是れ即ち本則を設くるの今日に必要なる所以なり。本則に於て最も悪んで痛く禁遏を加えんと欲するの主眼は爆発物を使用するの目的と其使用する物品とにあり。故に苟くも他に危害を与えんと欲して爆発物を使用するものは其治安を防ぐると人の身体財産を害するとを問はず之を同一の刑に処す。他なし其危害をなすの大小軽重に非ずして爆発物を使用するの目的と又其使用したる物品の爆発物たるを悪みてなり」とあるを引用し罰則制定当時立法者が取締の対象として予定したものは火薬、劇発火薬を成分とした爆発物でありその高度の危険性に著目し爆発作用が社会公共に甚大なる危害を与える可能性の大なるに鑑み、国家に対する非常の大害を防遏せんとする必要に出たものであることが窺われると断定しているのであるが、原判決は、引用の参事院上申書の前段のみに、著目しその後段特に「其危害を示すの大小軽重に非ずして爆発物を使用するの目的と又其使用したる物品の爆発物たるとを悪みてなり」とする部分を看過軽視した独断とせざるを得ない。又法の解釈において立法者の意思は、一参考とせられるに止り、法規の文言に客観的に表現せられるところに従つて解釈すべきことは当然の事理であるのみでなく明治十七年本罰則制定当時の立法者の意思をもつて今日の事態を律せんとすることも妥当を欠くというべきである。本罰則制定の趣旨からは原判決のように規定の文言を遥かに逸脱する制限解釈を採る相当の根拠を導き出すことはできない。次に原判決は本罰則の法定刑の峻厳性並びに他の刑罰法規との比較対照特に銃砲刀剣類等所持取締令を挙げているのであるが、昭和三十一年六月二十七日最高裁判所大法廷判決が明らかに判示するように、それは一に爆発物が爆発そのものによつて公共の安全をみだし又は人の身体財産を害するに足る破壊力を有する顕著な危険物たることに着目したために外ならないのであり、又前記参事院上申書の「爆発物を使用するの目的と、又其使用したる物品の爆発物たるとを悪みてなり」という犯罪の構成要件自体に基くものであつて、而も仔細に検討すれば必ずしも重きに過ぎるといい得ないことは昭和三十年四月二十五日福岡高等裁判所第一刑事部判決の詳細に判示する通りである。銃砲等と爆発物とは威力の作用する方向乃至範囲、阻止又は回避の可能性から考えて、比較に適当でない。右何れの点よりするも、之亦制限解釈を採るについての相当の根拠とはなし難いと結論せざるを得ない。

四、判例についてみるに、昭和二十八年十一月十三日最高裁判所第二小法廷判決及び昭和三十一年六月二十七日最高裁判所大法廷判決は何れも「爆発物取締罰則にいわゆる爆発物とは理化学上の爆発現象を惹起するような不安定な平衡状態において薬品その他の資材が結合せる物体であつて、その爆発作用そのものによつて公共の安全をみだし、又は人の身体財産を害するに足る破壊力を有するものを指称すると解するを相当とする」と判示し原判決のような特殊の要件を加え制限して解釈していない。更に昭和三十年四月二十五日福岡高等裁判所第一刑事部判決及び同年九月二十七日名古屋高等裁判所金沢支部判決も同旨の言渡をし而もこの二判決は何れも、いわゆるラムネ弾を爆発物に該当するとしているのである。原判決は右大法廷判決以下の諸判例に反する判断をしているのであつて、その解釈の誤であることは明らかといわなければならない。

第二点原判決は審判の請求を受けた事件について判決をしなかつた違法がある。

原判決は、冒頭掲記の公訴事実に対し無罪を言渡した。しかし右公訴事実に示された訴因は、被告人両名が氏名不詳者数名と共謀の上金堀一男及びその家族の身体を害する目的をもつてラムネ弾を投擲爆発せしめたというのであり爆発物取締罰則第一条違反の外数人共同して脅迫したという、暴力行為等処罰に関する法律第一条違反の訴因をも含むものである。検察官は起訴状において、右後者の罰条の記載をしていないが、それは暴力行為等処罰に関する法律第一条違反の罪は、爆発物取締罰則第一条違反の罪といわゆる法条競合の関係にあり後者に吸収せられると解すべきであるからである。原判決のように本件について爆発物取締罰則第一条の違反が成立しないとの見解を取るならば残る訴因である、暴力行為等処罰に関する法律第一条違反の成否につき判断を示さなければならない。然るに原判決はこの点につき何ら言及するところなく、直ちに無罪を言渡したのは、審判の請求を受けた事件について判決をしなかつた違法があるといわざるを得ない。

第三点原判決は刑の量定が不当である。原判決は前記の通り、被告人両名に対し爆発物取締罰則違反の成立を否定した結果不当に軽い刑の言渡をした。而も、原判決の適用した法律の法定刑の範囲内に限つて考えてもその量刑は甚だ軽きに失する。原判決の挙示する証拠によつて、本件犯行が、国内一部の破壊分子により国家機関に加えられた功撃であつて極めて悪質の犯行であることは明らかである。本件犯行の前後を通じいわゆる火焔瓶戦術の名の下にわが国全域に亘り之ら分子による同種行為が反覆敢行され、わが国治安を極めて憂慮すべき事態に陥れたことも顕著な事実であり、本件が之ら一連の行為と共通関連する意図の下に犯されたことも当然推認し得るところであり、その責任は厳重に問われなければならないことは、自明の理である。原判決は、本件犯行のかかる背景乃至意図に対する配慮を全く欠いたか故らに軽視したものと評せざるを得ない。

右何れの点よりするも原判決は破棄を免れない。本件については爆発物取締罰則第一条違反の点を有罪とし原審検事の求刑意見の通りの刑をもつて処断すべきものと思料し、控訴に及んだ次第である。

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